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石井一久 坂上に「生まれながらのアウト天才」と言わしめた その野球観とは [社会 経済 スポーツ エンタメ]

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1991年に、ドラフト1位指名でヤクルトスワローズに入団した石井一久。2002年にはロサンゼルス・ドジャースと契約を結び、念願のメジャーリーガーとなった。その後、2005年にメッツに移籍。左膝痛が再発し故障者リスト入りや、マイナー降格も経験した。

2006年には古巣のヤクルトに復帰し、2008年から埼玉西武ライオンズで活躍。今季限りで引退を発表した。そして先日、2014年から吉本興業に契約社員として入社する意向を表明した石井が、かなり「アウト」な人生を送ってきたことを明かした。

元プロ野球選手の石井一久が、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)に出演した。冒頭から「野球が好きじゃないのに182勝もあげた元メジャーリーガー」と紹介された石井一久。「野球が好きじゃなかったのか?」と司会の矢部浩之からふられると、「そんなに(好きじゃない)です」とまさかのカミングアウトをした。さらに、「仕事だから」「お給料をもらっているんで」と「野球はあくまでも仕事」というスタンスを告白した。
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野球を始めたのも、喘息持ちだった子供の頃に父親から「野球でもやったらどうだ」と言われたことがきっかけだった。昔からサッカーが好きだった石井は、中学時代は野球よりもサッカーに熱中していたという。中学3年生の時にたまたま野球の試合に出たところ、ホームランを2本打ち高校も野球を続けることになった。このあたりから親も「プロ(野球選手)になれるのでは…」と期待したのだが、当の石井は「高校が終わったら(野球を)やめよう」と思っていたそうだ。

そんな石井の“野球人生で一番の思い出”は、「友達がたくさんできたこと」だという。ヤクルトで友達がたくさん出来、「他の球団に行ったらもっと友達ができる」というのがFA宣言した理由だと明かした。一応のこだわりもそこにはあるようで、埼玉西武ライオンズを選んだのは「関東が好きだから」であった。

引退を決意した理由も、体力の限界は全くなく単にマンネリ化したからだという。22年も野球一筋の人生を送ってきて、何か違うことに挑戦したくなったのだろうか。「200勝まであと少しのところでの引退に後悔はないか?」との問いにも、「なんで200勝って皆こだわるんですか」「200勝したからって人生素晴らしいかって言ったらそんなこともない」とひょうひょうと石井は持論を述べる。

坂上忍に「生まれながらのアウト天才」と言われた石井。今後は吉本興業で契約社員として「人を支える(裏方の)仕事をしたい」と語った。(ネタりか




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