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王貞治氏 体罰問題を語る 「日頃の人間関係があるから受け入れられた」 [社会 経済 スポーツ エンタメ]

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 王貞治氏は今も次代を担う子供たちや若者の指導に汗を流している。不滅の大記録を打ち立てた同氏が、今でも純粋に「野球」と向き合い、走り続けているのは何故か。そこには古き良き日本への思いがあった。以下、王氏が語る。


 12月に母校、早稲田実業高等部の忘年会が開かれた。第29回選抜高校野球大会の優勝を記念した「紫紺会」だ。


 当時16歳だった連中が今では73歳。お互いに自由な時間が持てるようになってくると、昔が懐かしくなってね。レギュラーだった連中も、そうじゃない連中も一緒になって、「あの時はしんどかったね」、「あんたにはよく殴られたねェ」なんて笑って話すんですよ。


 今の時代は「殴られた」なんていうと、すぐ暴力だといわれてしまうけど、当時はそんなこと思いませんでした。

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 一緒にきつい練習をして、同じ目標に向かって頑張っている仲間同士。何度も何度も練習したのにどうしてできないんだという思いで、「甲子園に行くという夢を叶えるためには」と、先輩が後輩に手を出すことがあった。そうすると後輩としても、申し訳ないという思いがあるから、憎いとか、仕返ししてやろうなんて思わないですよ。


 確かに余所から見ている第三者からすれば、暴力に変わりはないのかもしれません。でも当事者の間には、意思の疎通というか、血の通ったところがあった。日頃の人間関係があるから受け入れられたし、周りの人も好意的だった時代でした。


 選手同士で殴り合いの喧嘩をしても、近所の人が止めてくれて、何事もなかったようにしてくれたし、「お父さんやお母さんには転んだといえ」なんてアドバイスもくれた。家でも、お前に悪い所があったから殴られたんだといわれるような時代だったからね。


 それが今は、何の関係もない外部から騒がれたりして、心の繋がりを作ろうにも全部、ブツブツと切られてしまうでしょう。とても難しい時代になっています。


 僕なんかは、当事者同士に任せておけばいいじゃないかと思うんです。起きた現象だけで、関係ない人にまで色々いわれることで、昔から日本にあった“良さ”みたいなものが切れるようになってしまった。


 昔はお爺ちゃんお婆ちゃん、両親、そして先輩といった目上の人が、若い者に伝えていく……そして自分がその立場になったら同じように伝えるという、“日本的な良さ”があったんですよ。


 それがいつの間にか教えなくなり、教えないから教わらなくなった。教わる気がないから、何かいわれると説教されているとか、小言をいわれているようにとってしまう。若い人にとって、不幸な状況です。




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